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Part 2  ~初夏の水辺で~

境界を越える

 

 リサイタル・シリーズの企画を構想する際に大切にしていることは、「多様な視点」です。伝統的な音楽作品を今日演奏するとき、私は新たな切り口を定めます。そうすることによって、伝統は新しい生命を吹き込まれ、聴き手に伝わり、受け継がれていくことが出来ると考えるからです。

 そこで重要なことは、どのような視点を持つか、ということです。もちろん、切り口はひとつではありませんが、私の場合、自らの表面にある種々の‘思い’に深く分け入っていく過程を通して作品に向き合う、という方法を実践しています。

◆表現の目標

音景

―響き合うかたち オルガンと書の幻境―

 

次回公演のテーマのひとつは、「感覚の境界を越える」というものです。私たちは、五感を総動員して物事を経験しており、それは個々の感覚の互換作用によって認識されています。タイトルの「音景」とは、音の景色、つまり聴覚と視覚の交差を象徴したネーミングです。また、サブタイトルの中の「幻境」は、古代中国の言葉で、感覚の境を越えて新たな夢幻の境地を開くことを意味します。

 しかし今回のパンデミックでは、五感を超えて、自らを取り巻く環境との境界が曖昧なものであり、そのような不安定なところに私たちは生きているのだ、ということを思い知らされました。これまで人間は自然との間に対立構造を作り、自然を解明し支配して来ました。ところが人間も自然の一部である以上、そこには矛盾があったのです。

 ここで私は「境界」という概念を人間と自然との関係にも広げ、この「幻境」というテーマにアプローチすることを試みたいと思います。

◆自然と人間

 もともと、人間は自然の中で、多様な環境に適応するように進化して来ました。次第に社会が発達すると、地域に根差し、自らの領域を定め所有しました。領土、領海、領空と、自然を次々と分断し、それを侵すものは敵とみなし、戦ってきました。今では、人工物で出来た都会に住み、リゾートとしての自然の中に静養に出かける、という生活スタイルが当たり前の世の中になっています。

 一方、自然は自律的にそこに存在し、自らの境界はありません。そして、歴史上繰り返し起こった災厄は、人間の作った壁を越えてわれわれの築いたものを壊し、命を脅かしてきました。動植物が人間の定めた境界をいとも容易く通過し移動するように、ウィルスは国境を越えて侵入して来ます。そこで人間は自分に危害を及ぼすものを「敵」とみなして戦い、排除、制圧しようとします。

◆視点の転換

 昨年のインフルエンザ流行の時期に、面白いテレビCMがありました。自己免疫力を高める効果があるとされる乳酸菌飲料のCMで、女性のウィルス研究者と男性研究助手という設定です。途中、女性研究者がやさしい口調で、「ではここで、ウィルスの気持ちになってみましょう。」と言います。すると、ウィルス役の助手は、この飲料を飲んで免疫力が上がった研究者に近寄れなくなります。

まだ今回のコロナの問題が起きる前でしたが、この視点の転換がとても印象に残りました。これまでの考え方では、ウィルスは人間を襲う「敵」であり、戦って排除するという態度です。もちろん、病にかかってしまったら治療が必要です。しかし、本来自然界にいる生物に人間に対する「善意」も「悪意」もなく、ただ本能によって自己保存と増殖を繰り返しているだけなのです。

上記のような視点の転換は、インフルエンザと免疫力の関係に止まらず、人間の側が変わることによって、リスクを抑えながら他の生物と同じ空間に生きることが可能だということを、平易な形で示しているのではないでしょうか。

◆‘生命を守ること’と‘生きること’

 現在新型コロナウィルスによって危機に晒された生命を守り、生活を取り戻すために、「行動変容」という新しい概念が示され、今後の生活に定着させることが求められています。その具体的な内容である公衆衛生や社会的エチケットは、個と全体の関係を相互に見ることができる視点を持たなければ実現されません。

 また、私たちが生きるために重要な文化・芸術の欠如は、私たちの精神にダメージを与えました。それらは、人間が生きるための力に直接働きかけ、支えているものだからです。しかしここで私たちは、逆説的な問題に直面してしまいます。つまり文化・芸術は、人々が集い、共同体験を通して成り立つものであるにもかかわらず、皮肉にも生命を守るために集まることが出来ない、というジレンマです。

 すべての文化活動が場を失ってから、その代替として、デジタル・メディアによって様々なアイディアや表現のチャレンジが発信されています。個々の窓からそれぞれの思いや創造が伝わって、多くの人々と心を通わせています。隔離され、制限をされていても、人との共感を求める心は止めることが出来ません。この最も人間らしい本性は、命と共に守られ尊重されるべきものです。すべてのアートは、その意味で人間社会を支える資源となります。

 生命を守るために「離れる」ことと、生きる力を得るために「繋がる」こと。これから私たちは、この矛盾をどう乗り越えて行けばよいのでしょう。

◆新しい感覚への挑戦

 歴史は常に、過去に基づいて一直線上を進み(伝統)、時折波のような変化が訪れてきました(革新)。なぜ、変化は繰り返し起こるのでしょう。それは人間というものが、固定した「過去」に生きているのではなく、「いま」という時間を生きているからではないでしょうか。「いま」は不確実で、同時に自由なのです。「いま」を生きている人々は、希望する「未来」を描き、それが潮流となってダイナミックに時代を動かしていくのだと思います。

 現在、私たちは突然この変化の真只中に置かれています。一人一人が‘どのような未来を描きたいのか’という問いがこの先の世界を創って行きます。そして今の問題を乗り越えるためには、社会の枠を超え、私たちが地球の生物の一員であるという、もっと広い視野に立つことが必要とされているように思います。

ヨーロッパでは昔から、芸術は、目に見えない世界の多様性を感受し、美を通して人や物事を調和へと導く力がある、と言われてきました。また東洋にも、能の世界に見られるような、現世と冥界を魂が往来するという死生観や、自然と人間が交流するアニミズムに基づいた表現があります。 

今、「境界を越える」―分断された架空の壁を越え、五感を越え、時空を越える―という新しい感覚は、今後私たちが変わっていくための、ひとつの手掛かりになるのではないかと考えます。

足元の地面が遠い山並みへ、橋の下に流れる川が大海へ、窓から見える小さな空間が渡り鳥の目指す遥かな空へと繋がっていることを想いながら暮らすこと。離れている友たちや、もう会えない人たちと繋がっているという感覚を生きること。自らの扉を開き、私はいま音楽を、境界を越えて、夢幻の世界へと解き放ってみたいと思っています。

 

2020.6.1

細川久恵

 

Photo :細川久恵